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人気タレントたちと歩く、今の浅草。YouTubeで巡る話題の浅草スポット
国内外から多くの観光客が訪れる浅草。 近年は、タレントやインフルエンサーが浅草を巡るYouTube動画やCMが注目を集め、 「動画を見て同じ場所を訪れたい」という観光スタイルも定着しつつあります。 本記事では、木村拓哉さん、石原さとみさん、三宅健さん、坂上忍さんが出演する 浅草の魅力を紹介する YouTube コンテンツをもとに、 動画内で登場したスポットをまとめ記事としてご紹介します。 動画の世界観をなぞりながら、実際に歩ける浅草観光の参考としてご活用ください。 木村拓哉さんと歩く浅草 動画:木村拓哉が下町情緒を大満喫!浅草ぶらり散歩 木村拓哉さんが、飾らない目線で浅草を歩く本動画。 人力車や昔ながらの遊び、浅草寺まで、初めての浅草観光にぴったりなコースが紹介されています。 ◻︎ 紹介スポット - 人力車のえびす屋 - 伝法院通り - 浅草メンチ (メンチカツ/伝法院通り) - 浅草西参道商店街 - 浅草きんぎょ(金魚すくい/西参道商店街) - 浅草射的場(射的/西参道商店街) - 浅草寺 「古風なものも、今よりのもの
1月25日


浅草に「富士山」を作った男、明治の仕掛け人・寺田為吉の無謀な挑戦
今から140年ほど前、1887年(明治20年)の浅草に「奇想天外な塔」が建てられました。 その名も「富士山縦覧場 (ふじさんじゅうらんじょう)」 。 別名「浅草富士」とも言われました。 浅草公園第六区四号地に位置し、 高さ32メートル、敷地1,000坪超、木と漆喰で作られた「富士山」を模した木造建築物でした。 この一大プロジェクトを立ち上げたのは、 浅草に住む一人の商人(香具師)、寺田為吉。 彼がいかにしてこの無謀な夢を実現させたのか。 その知られざるドラマに迫ります。 アイデアのヒントは「五重塔の修理」 きっかけは、1885年(明治18年)に行われた浅草寺・五重塔の修繕工事でした。 当時、莫大な修理費用を捻出するため、工事用の高い足場を一般に開放し、 「景色が見られる」という名目で登覧料を取ったのです。 すると、この「高い場所からの景色を楽しむ」という体験に当時の人々が殺到しました。 これを目撃した寺田為吉は確信します。 「修理のついでですらこれほど人が集まるなら、 最初から登ることを目的とした『山』を作れば、とてつもない商売になるはずだ
1月20日


平成中村座、4年ぶりに浅草へ帰還。浅草と歌舞伎を結ぶ180年の物語
本日1月18日、浅草寺のご本尊・聖観世音菩薩の「初観音」という特別なご縁日、浅草の街にとって嬉しいニュースが届きました。 2026年10月、浅草寺境内の仮設劇場にて「平成中村座」の公演開催が決定! 初観音は、古くから「芸能成就」や「商売繁盛」とも縁の深い日とされ、多くの芸人や役者が浅草寺に願いを託してきました。 この日に発表された平成中村座の帰還は、浅草の歴史を知る人々にとって、ひときわ象徴的な出来事と言えるでしょう。 十八代目中村勘三郎さんの「江戸時代の芝居小屋を現代に蘇らせたい」という熱い想いから、2000年に浅草の地で誕生した平成中村座。 浅草での公演は2022年以来、4年ぶりとなります。 中村勘九郎さん、中村七之助さん兄弟を中心に、伝統の灯が再び浅草に灯ります。 なぜ、平成中村座はこれほどまでに浅草という場所にこだわり、そして街の人々に待ち望まれるのでしょうか。その理由は、約180年前の江戸時代に誕生した「芝居の町」の歴史にありました。 浅草の奥座敷に誕生した、芝居の理想郷「猿若町」 かつて、江戸の芝居小屋(中村座・市村座・河原崎座)
1月18日


浅草観音裏に江戸の風情がよみがえる「浅草江戸風情創出プロジェクト」開催(2/1〜3/14)
浅草観音裏エリアで、江戸情緒をテーマにした観光イベント「浅草江戸風情創出プロジェクト」が、2026年2月1日(日)から3月14日(土)まで開催される。東京都の「江戸情緒あふれる景観創出事業」を活用した取り組みで、浅草が持つ歴史や文化を生かした街並み演出を通じ、新たな観光の魅力を発信する。 会期中は、浅草神社周辺や観音裏の通り、地元店舗などに江戸をイメージしたのれんや提灯が設置され、落ち着いた雰囲気の街並みが演出される。昼間の散策はもちろん、夕暮れから夜にかけての灯りによる景観も見どころの一つとなる。 初日の2月1日には、浅草神社内のときわホールでオープニングセレモニーが行われる。点灯式をはじめ、和楽器の演奏や浅草芸者による踊り、木遣りや梯子乗り、纏(まとい)振りなどの伝統芸能が披露される予定となっている。会場では浮世絵の摺り体験も実施され、来場者が実際に江戸文化に触れられる機会が用意される。 プロジェクト期間中はこのほか、提灯のライトアップやのれんアートの展示、浮世絵鑑賞企画、和蝋燭の灯りで作品を楽しむ体験イベントなどが、浅草神社や周辺エリアで展
1月17日


浅草で開催された日本初のミスコン「東京百美人」、熱狂の総選挙
今、浅草の街から見上げる東京スカイツリーは、現代の東京を象徴するランドマークです。 しかし、明治時代の浅草には「雲を凌(しの)ぐほど高い」と その名を謳われた、伝説的な塔がありました。 その名は「凌雲閣(りょううんかく)」、通称「浅草十二階」。 1890(明治23)年に誕生したこの塔は、 当時日本一の 高さを誇る約52メートルの建築物。 日本初のエレベーターが設置されるなど、 まさに時代の最先端をいく浅草観光の目玉でした。 しかし、開業早々にエレベーターが故障・運転停止という大ピンチに。 「歩いて登るのはしんどい」と客足が遠のく中、運営側が打ち出したのが、 当時の新聞で「軍師のごとき奇策」と評された、驚きのイベントでした。 それが、1891(明治24)年に開催され、 浅草を熱狂の渦に巻き込んだ日本初のミスコン「東京百美人」です。 逆転のアイデア、「歩けない」を「歩きたい」へ! エレベーターが動かない以上、12階の展望台へ行くには、自分の足で階段を登るしかありません。 しかし、ただ「頑張って登ってください」と言うだけではお客さんは納得しません。
1月2日


江戸のラブブか、ベアブリックか。浅草から大流行した幻の招き猫「丸〆猫」
今や世界中で親しまれている「招き猫」。 そのルーツとされる存在が、江戸時代の浅草で生まれ、 一大ムーブメントを巻き起こしていたことをご存じでしょうか。 嘉永5年(1852年)、浅草寺境内の露天で売り出された、 「丸〆猫(まるしめのねこ)」と呼ばれた今戸焼の招き猫は、 瞬く間に江戸の人々の話題となり、 我も我もと、 多くの人々が買い求めました。 現代で言えば、 発売時の行列がニュースになるほど熱狂的なファンを持つアートトイ、 ラブブやベアブリックのような存在だったのかもしれません。 浅草・三社様の鳥居前から始まった「招き猫」の物語 招き猫の由来にはさまざまな説がありますが、 丸〆猫が最古の招き猫と言われている理由は、 文献・絵画・出土品という具体的な裏付けの史料が複数残されている点です。 その中の一部をご紹介します。 文献資料: 『武江年表(ぶこうねんぴょう)』:江戸の神田雉子町(現在の神田小川町付近)の町名主・斎藤月岑(さいとう げっしん)が編纂した、江戸の都市文化を記録する編年体史料。嘉永5年の条に、丸〆猫の誕生秘話が記されています。...
2025年12月28日


江戸時代の推し活? 浅草はお江戸のアイドルの聖地
浮世絵が伝える、会いに行けるお江戸のアイドル 江戸時代の浅草は、信仰と娯楽の中心地であると同時に、 「美人の街」としても知られていました。 その背景を伝えてくれるのが、当時の大衆メディアでもあった浮世絵です。 江戸を代表する「三大美人」と呼ばれた女性たちの中には、 繰り返し浅草ゆかりの人物が登場します。 江戸時代の「浅草」は、今より広い意味を持っていた 江戸時代の「浅草」は、現在の町名よりも広い地域概念でした。 現在の浅草は、台東区の浅草一~七丁目を中心とするエリアを指しますが、 江戸時代から明治初期にかけての「浅草」は、浅草寺を中心に、 元浅草、寿、駒形、花川戸、雷門、千束などを含む、 隅田川西岸の一帯を指す地域認識でした。 明治期にはこの一帯を中心に「浅草区」が設けられ、 後に下谷区と合併して現在の台東区になります。 さらに当時の人々にとっては、 浅草寺への参詣の流れで上野や谷中方面までを含めた 連続した文化圏として捉えられることも一般的でした。 「浅草寺を中心とする行楽・信仰の圏域」そのものが、 ひとつの巨大なトレンド発信地だったので
2025年12月27日


浅草・奥山とは? 江戸随一のエンターテインメントメエリア
奥山とは? 江戸の人々が集い、遊び、流行が生まれた、 浅草寺の “奥” に広がっていたエンターテインメントエリア「奥山(おくやま)」とは。 浅草といえば、雷門や仲見世、浅草寺本堂を思い浮かべる人が多いでしょう。 しかし、江戸時代の浅草には、参拝の先に、もう一つの大きな魅力がありました。 それが「奥山」です。 奥山とは、江戸時代、浅草寺(山号・金龍山浅草寺)の境内奥に広がっていた娯楽空間を指す呼び名です。 正式な町名ではなく、参詣の動線の中で「奥」にあたる場所を、江戸の人々が自然にそう呼ぶようになりました。 なぜ「奥山」と呼ばれたのか 江戸時代、寺院は「山」と呼ばれるのが一般的でした。 比叡山、高野山、東叡山寛永寺と同じく、浅草寺も「金龍山」という山号を持つ寺です。 浅草詣では、 雷門 → 仲見世 → 本堂(観音さま) という流れが基本でした。 参拝を終えた人々が、さらに足を延ばした先、 金龍山の「奥」にあたる場所が、「奥山」と呼ばれるようになったと考えられます。 奥山はどのあたりだったのか 奥山の位置については、さまざまな資料から、
2025年12月15日


浅草観光&カルチャーメディア「ASAKUSA LOVER」開設
ASAKUSA LOVER ご挨拶 浅草を歩くと、ふと胸が熱くなる瞬間があります。 雷門の前で見た笑顔。 仲見世で交わした小さな会話。 夕暮れの川風にそっと揺れる灯り。 浅草には、人の心を静かにほどき、 訪れる人にも、暮らす人にも、 やさしく寄り添う不思議な力があります。 私たち、株式会社 Cool Japan TV は、 東京都から「東京観光案内窓口」の指定を受け、 浅草エリアで観光案内業務を担っています。 そしてこのたび、 公益財団法人東京観光財団が推進する 観光案内窓口機能の高度化支援制度の枠組みのもと、 浅草の魅力を多言語で発信する新しいポータルサイト 「ASAKUSA LOVER(浅草ラバー)」を公開いたします。 ASAKUSA LOVER という名前には、 浅草に惹かれ、 浅草を想い、 浅草を大切に感じてくださるすべての人への 敬意と感謝の気持ちが込められています。 そしてこの言葉は、逆から読むと REVOL。 それは、浅草を愛する人々の想いが、 この街を、より素晴らしい未来へと動かしていく、 そんな願いも重ねています。 浅草に生
2025年12月1日
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