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浅草・奥山とは? 江戸随一のエンターテインメントメエリア

7月1日
読了時間: 4分

更新日:9月23日

奥山とは?

江戸の人々が集い、遊び、流行が生まれた、浅草寺の “奥” に広がっていたエンターテインメントエリア「奥山(おくやま)」とは。


浅草といえば、雷門や仲見世、浅草寺本堂を思い浮かべる人が多いでしょう。 しかし、江戸時代の浅草には、参拝の先に、もう一つの大きな魅力がありました。 それが「奥山」です。


奥山とは、江戸時代、浅草寺(山号・金龍山浅草寺)の境内奥に広がっていた娯楽空間を指す呼び名です。正式な町名ではなく、参詣の動線の中で「奥」にあたる場所を、江戸の人々が自然にそう呼ぶようになりました。


なぜ「奥山」と呼ばれたのか


江戸時代、寺院は「山」と呼ばれるのが一般的でした。 比叡山、高野山、東叡山寛永寺と同じく、浅草寺も「金龍山」という山号を持つ寺です。


浅草詣では、


雷門 → 仲見世 → 本堂(観音さま)


という流れが基本でした。

参拝を終えた人々が、さらに足を延ばした先、金龍山の「奥」にあたる場所が、「奥山」と呼ばれるようになったと考えられます。


奥山はどのあたりだったのか


奥山の位置については、さまざまな資料から、 現在の浅草寺本堂から見て、西側から北西方向にかけての一帯が、 奥山と呼ばれ、賑わっていたエリアだったと推測されます。


このことは、建築史家・立川博章氏が制作した江戸の鳥瞰図からも読み取ることができます。 立川氏は、明治陸軍の測量図、古文書、古地図、浮世絵などをもとに、 江戸時代の町並みを精密に時代考証し、三点透視法によって江戸の都市空間を復元しています。


その江戸鳥瞰図を、現在の Google Map と位置を合わせて重ね、透かして見ると、 現在の奥山おまいりまち、浅草西参道商店街、花やしき通り、浅草花やしき周辺が、 江戸時代の奥山として賑わっていた場所であることが、視覚的にも理解できます。

歌川広重が描いた錦絵のひとつに、 《浅草金竜山奥山花屋敷》と題された作品があります。この題名から、花屋敷は「金竜山の奥山」にあると認識されていたことが分かります。


表は信仰、奥は娯楽


浅草の大きな特徴は、信仰と娯楽が隣り合って存在していたことでした。


雷門から本堂にかけての「表」は、観音さまに祈りを捧げる「信仰の空間」。 一方、奥山は、見世物小屋、軽業や曲芸、からくり、猿回し、茶屋や露店などが集まる「娯楽の空間」でした。


参拝のあとに遊ぶ。

この組み合わせこそが、浅草を江戸随一の人気地にした理由でもありました。


将軍・大名も訪れた奥山


奥山は、庶民だけの遊び場ではありませんでした。

江戸時代の記録を見ると、将軍や大名たちも、浅草参詣の際に、奥山の様子を見物していたことが分かります。


たとえば、『武江年表』や『藤岡屋日記』には、 将軍家が浅草寺へ参詣した際の町の賑わいがたびたび記されています。


特に知られているのが、


第十一代将軍 徳川家斉

第十二代将軍 徳川家慶


の時代です。

この頃、浅草参詣は将軍家の年中行事の一つとなっており、境内や奥山の整備・警備が入念に行われたことが記録されています。 また、大名や旗本たちが浅草詣の途中で、奥山の見世物を見物したことも、随筆や日記類から確認できます。



文化人たちが見た奥山


奥山は文化人たちの目にも、強く印象に残る場所でした。


滝沢馬琴は随筆の中で、浅草寺境内から奥山にかけての賑わいを、江戸随一の人出として描写しています。


十返舎一九や式亭三馬といった戯作者たちも、浅草・奥山の風景を、黄表紙や洒落本の題材として取り上げました。彼らにとって奥山は、江戸の世相や流行を描くのに欠かせない舞台だったのです。



新奥山 ― 現在に残る奥山の記憶


現在、浅草寺本堂の西側、奥山おまいりまちと浅草西参道の入口付近には、「新奥山」として整備された一角があります。


ここには、浅草の娯楽文化を支えてきた興行師や芸人、見世物に関わった人びとを記念する碑が並び、奥山の歴史を今に伝えています。


江戸時代の奥山そのものは姿を変えましたが、その精神と記憶は、現在の浅草の街の中に確かに受け継がれています。



奥山の今を歩く


雷門や仲見世を抜け、参拝を終えたあと、左方向に曲がり、少し西へ、少し北西へと足を延ばしてみてください。現在もこの一帯は、奥山おまいりまち、西参道、花やしき通りを中心に、さまざまなお店が並び、人の流れが途切れることはありません。


ここはかつて、将軍や大名、文化人、そして町人までが集い、笑い、驚き、語らい、流行を生み出した場所「奥山」でした。


信仰の場である浅草寺のすぐ奥に、これほど大きな娯楽空間が広がっていたことは、江戸という都市の懐の深さを、今に伝えています。


浅草をより深く楽しむために、ぜひ「奥山」という視点を持って、この街を歩いてみてください。きっと、いつもとは少し違った浅草の表情に出会えるはずです。


【参考資料・関連リンク】



企画・調査・執筆:ASAKUSA LOVER 歴史探究室|© ASAKUSA LOVER

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