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浅草に「富士山」を作った男、明治の仕掛け人・寺田為吉の無謀な挑戦

更新日:1月21日

今から140年ほど前、1887年(明治20年)の浅草に「奇想天外な塔」が建てられました。 その名も「富士山縦覧場(ふじさんじゅうらんじょう)」 別名「浅草富士」とも言われました。 浅草公園第六区四号地に位置し、 高さ32メートル、敷地1,000坪超、木と漆喰で作られた「富士山」を模した木造建築物でした。 この一大プロジェクトを立ち上げたのは、 浅草に住む一人の商人(香具師)、寺田為吉。 彼がいかにしてこの無謀な夢を実現させたのか。 その知られざるドラマに迫ります。



アイデアのヒントは「五重塔の修理」

きっかけは、1885年(明治18年)に行われた浅草寺・五重塔の修繕工事でした。 当時、莫大な修理費用を捻出するため、工事用の高い足場を一般に開放し、 「景色が見られる」という名目で登覧料を取ったのです。


すると、この「高い場所からの景色を楽しむ」という体験に当時の人々が殺到しました。 これを目撃した寺田為吉は確信します。 「修理のついでですらこれほど人が集まるなら、 最初から登ることを目的とした『山』を作れば、とてつもない商売になるはずだ!」 この、一見突飛ながらも合理的な計算が、浅草の富士山プロジェクトの原点となりました。


「金なし・実績なし」からの大逆転劇

しかし、計画は前途多難でした。 為吉が東京府(現在の東京都)に出願した際、 当局の調査による回答は散々なものでした。 「寺田為吉には資産も不動産もない。こんなものを作れるはずがない」 と一蹴されてしまいます 。 普通であれば、そこで諦めそうですが、 いつの時代も、面白そうなこと、楽しそうなことを思いつくと情熱を発揮するのが浅草人。


為吉は、銀座の有力資産家・永井勝輔らを説得し、 スポンサーとして引き込むことに成功します。 その他にも数名の資産家の信用を背景に行政の許可を勝ち取るという、 驚異の行動力、プロデュース力を発揮するのです。


先進的な「株式会社形式」による運営

建設費は、度重なる設計変更などにより、 当初予定の4倍にあたる12,000円(現在価値で1.5億〜2.4億円相当)にまで膨れ上がりました。 この投資を管理し、持続的な経営を行うために設立されたのが「共同不二会社」です。 組織の先進性:1株100円の株式を発行し、資本金15,000円を集める株式会社形式を採用。 浅草初の試み:浅草の見世物興行を株式会社が営んだことは当時極めて先進的な試みでした。

成長戦略:利益を積み立て将来的には「鉄製の富士山」を作る計画を掲げていました。


32mの頂上に輝いた、文明開化の光

明治20年11月に開業すると、最初の10日間で約23万人が押し寄せる大旋風を巻き起こしました。 場料4銭、下足料1銭 。 開業後、僅か1ヶ月で当初の出資金12,000円の内8,000円を償却するほどの利益が出たそうです。 そして、螺旋状の登山道を登りきった人々を待っていたのは、 当時まだ数えるほどしかなかった高層からの大パノラマでした。


:隅田川の流れと葛飾の風景 。

西:箱根の山々の向こうにそびえる「本物」の富士山 。

:品川湾から房総の山影までを一望 。 :吉原や千住の街並み、戸田近傍の景色。


さらに明治21年の夏には、頂上に4つの電気燈(アーク灯)を設置。 夜の浅草に浮かび上がる光り輝く富士山は、 まさに文明開化の象徴として羨望の的となりました 。

歌川芳盛「吾妻新橋金龍山真景及ヒ木造富士山縦覧場総而浅草繁栄之全図」

夢の終わりと、受け継がれる「塔」のDNA

栄華を極めた富士山縦覧場でしたが、木造ゆえの弱点もありました。 度重なる台風での破損や客足の減少により、 1890年(明治23年)にはその役目を終えて取り壊されます。 為吉はその後、自らが発案した「富士山」の収益をめぐり、 会社側を相手に正当な対価を求める裁判を起こしたという記録が残されています。


一人の男の無謀な夢から始まった浅草富士の物語は、わずか3年で幕を閉じましたが、 寺田為吉が灯した「高い場所からの景色を楽しむ」という娯楽の火は、 その後の凌雲閣(浅草十二階)や東京スペースタワー(ポニータワー)、 現在の東京スカイツリーへと、脈々と受け継がれているとも言えるでしょう。

矢田部多十郎「東京名所之内浅草公園冨士山之図」


山田年忠「東京名所 吾妻橋鉄橋之全図

【参考資料】

  • 沓沢博行「富士山縦覧場の経営にみる見世物興行の近代化」『東京都江戸東京博物館紀要』第11号、2021年

  • 富士山縦覧場 Wikipedia

  • 東京都公文書館所蔵「寺田為吉浅草公園第六区内へ富士山遊覧場設置の為地所拝借願」

  • 『東京市史稿 遊園篇 第六』

  • 1887年〜1890年当時の「読売新聞」「時事新報」「東京朝日新聞」「東京公論」等の各記事

  • 東京高等裁判所保管「裁判言渡書 第00493号」(収益金配当及管理ノ訴訟)

  • 東京地方裁判所保管「1888年始第333号 民第333号」(下足営業並木戸札之扱契約履行ノ訴訟)

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